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徐匯公学はカトリック宣教師クロード・ゴットランドにより清の道光30年(1850年)に創設された。創設にあたり、聖イグナチオ・デ・ロヨラを守 護聖人としたことから、当初は聖イグナチオ公学と呼ばれた。また、徐家匯にあることから、徐家匯公学、略して徐匯公学とも呼ばれるようになった。フランス 語名は「COLLÈGE ST-IGNACE ZI-KA-WEI」で、カトリック教会が中国で創設したミッションスクールの中では最も早期のものである。1932年に上海市私立徐匯中学と改称され、 カトリック教会により運営された。1953年には公立学校に改組され、上海市徐匯中学と改称された。有名な教育家・馬相伯(1840-1939)は同校の 卒業生で、1871~1874年に校長を務めた。崇思楼の正面外観はレンガ造、内部は木造が主体で、全4階建てのフランス・ルネッサンス建築様式となって いる。1994年に上海市人民政府から「優秀歴史建築」に指定された。
徐家匯天文台は、イエズス会が清の同治11年7月(1872年)に設立し、同年12月1日に気象観測が始まった。同治12年(1873年)には、徐 家匯肇嘉浜のほとりに平屋建ての数部屋が建設され、気象観測に使用された。光緒26年(1900年)には、西側に新たに天文台が建設された。本館は3階建 てのロマネスク様式で、レンガ壁、赤レンガの窓枠、アーチ型の窓、とっくり型の手すりが特徴的だ。中央に建てられた木造の測風塔は高さ40m、ベックリー 風向風速計が備え付けられている。徐家匯天文台は国際天文学連合から標準時生成機関に定められ、1926年と1933年に2回にわたり国際共同緯度観測に 参加し、パリやロサンゼルスとともに世界3箇所の測量基準点となった。
聖母院はイエズス会宣教師ルイス・シーカの呼びかけにより、清の道光23年(1843年)に青浦県横塘で建設が始まった。同治3年(1864年)に 徐家匯に程近い王家堂に移転した。同治7年(1868年)に徐家匯イエズス会居住地付近に拯亡会、献堂会などの修道院が相次いで設立され、これらを総称し て徐家匯聖母院と呼ばれた。その敷地は広大だったが、今日では主に1926年に建設されたヨーロッパ式建築様式、鉄筋コンクリート5階建ての建物を残すの みとなっている。20世紀に入り、修道女が浦東の唐墓橋天主堂に移った後、この建物は貸し出され、現在はレストラン「上海老站」がテナントとなっている。 店内には機関車の車両2両が保存されている。うち1両はドイツ・ハノーバー車両工場1899年製、もう1両はロシア・エカテリンブルク車両工場1919年 製。
旧土山湾孤児院は清の同治年間に創設された同孤児院のうち唯一現存する建築物で、当時の北楼に当たる。木骨レンガ造3階建てのこの建物内では、工 芸・美術の職人養成が重点的に行われていたため、孤児工芸院とも呼ばれる。2010年の上海万博を前に、徐匯区は土山湾孤児院跡に土山湾博物館を開設し、 2010年6月12日に一般公開した。全館展示室の面積は900平方メートル余りで、展示品400点近く、史料写真200枚余りが展示されている。「牌楼 庁」「徐家匯庁」「土山湾庁」「伝承影響庁」の4コーナーに分かれ、実物、写真、模型、歴史文献を主な展示物とし、それにマルチメディア等の補助的手法を 組み合わせて土山湾工芸院の様子を再現し、同院が中国と西洋の文化交流に果たした貢献を紹介している。
徐家匯公園は衡山路、天平路、肇嘉浜路、宛平路に囲まれた一帯にある。ここにはかつて、上海大中華橡胶廠(ゴム工場)、上海百代唱片公司(中国唱片 上海支社)やその他周辺の事業所や住宅街があった。面積は8万6600平方メートル。2000年に開設された同公園には、ゴム工場の煙突やレコード会社の 事務棟が保存され、歴史の記憶を伝えている。設計配置は上海一帯の地勢を模したものとなっており、黄浦江などの河川や湖沼も再現されている。そして、その 上に架かる全長200メートル近くの歩道橋が公園全体を貫いている。
1921年に建設され、敷地面積は約192平方メートル、延床面積は480平方メートル、オランダ式建築様式の専用庭園付き住宅である。木骨レンガ 造で、北側正面の表面が石材で処理され、南側のバルコニーは2本の柱で支えられている。真四角の戸窓、赤いレンガ壁のその姿から通称「小紅楼」と呼ばれる この建物は、東方百代唱片公司のアジア太平洋地区本社で、中国のレコード産業発祥の地でもある。1935年、上海電通影業公司の映画「風雲児女」の主題歌 「義勇軍進行曲」(田漢作詞、聶耳作曲)のレコーディングはここで行われた。1949年9月24日、中国人民政治協商会議はこの曲を国歌に指定した。この 建物は2005年、上海市人民政府から「優秀歴史建築」に指定された。
上海交通大学は1896年の創立当初の名称を南洋公学といい、1921年に交通大学と名付けられた。校史博物館は1919年に落成した旧図書館(徐 匯キャンパス)内に1996年4月8日の創立100周年を記念して開館し、1947年度卒業生の江沢民氏が館名を揮毫した。2003年に「上海市愛国主義 教育基地」に指定された。校史博物館には3つの展示ホールと1つの陳列室があり、総面積600平方メートルあまりの展示スペースに、校史についての基本展 示、同窓生や在籍した研究者の文献や写真の展示、およびOBの林同炎氏についての個人展示が行われている。
董浩雲水運博物館は1909年に落成した上海交通大学新中院(徐匯キャンパス)内に、2003年1月に開館した。上海交通大学と香港董氏慈善基金会 が共同で創設した。天窓のある2階建ての建物は、清末上海の擬洋風建築。同館の展示室は全600㎡余り、1階は中国水運史館、2階は董浩雲個人についての 展示となっている。董浩雲(1911-1982)は浙江省舟山群島出身で、中国東方海外貨柜航運公司の創業者である。同館は「上海市科学普及教育基地」に 指定されている。